1Q84 Book3 <10月-12月>を読み終えた。Book2と3は一気に読んだなー。面白かった。
私の中では村上春樹はファンタジー作家で、リアリティとは別の所で話を作る人だ。出来上がったものは、近代的な読み物というよりは、寓話やお伽話に近い。なので、1Q84の宣伝にあった「近過去小説」なんてのは的外れもいいところだと思っているし、ファンタジーでいいと思っている。
1984と1Q84の差についても、パラレルワードであることは作中で明確に否定されていて、SFで説明できる何かではないことは強調するが、大した意味は無いと思っている。私はファンタジーの一言で片付けてしまう。世界はひとつだけど、感じ方の違いで世界はいかようにも変わるという心の問題と見ることも可能だし。作中にそのまんまあるように、得体の知れない何かの関与で歪んだ世界と見てもいいだろう。
得体の知れない何かは村上作品にはしばしば登場する。ただし、それはSFではなくて、観念にとりあえず適当な名前と形をつけたものという意味合いが強くて、今回もまさにそんな感じだ。そして、観念に関する謎は解明されない。このあたりはお約束のはずだ。
大体、リアリティーを追求ると物語が成立しないのだ、物凄い金持ちが、世直しの為に私設の仕置き人を組織してるなんてのは、ファンタジーじゃなければ笑い話だ。ファンタジーにしとこうよ。
で、このBook 3だが、今までの村上春樹ものとちょっと違う。先にちょっと書いちゃったが、父子関係の書きようがかなり違う。個人的には、施設で父に本を読んであげる件から、自分の戸籍を見せられ、実父がやっぱり死んだ父だったところまでの話が面白い。まぁ、自分のことを大事にしない父は本当の父ではない、本当の父は別にいる。なんてのは所詮小学校レベルの妄想で、父はやっぱり父だったし、自分のことを彼なりに気にかけてくれていた。という当たり前の事が判明して困惑する主人公。困惑すんなよー(笑)と笑うところだ。
で、何でまたこんな段取りが必要かといえば、自分自身が(なぜかいきなり)父親になるからで、父親になる前に、自分の父親との関係にケリをつける必要があるからなのだが、この辺の流れは非常に偏屈で、父親は認知症というカモフラージュの元、対話らしいものは何も無く、主人公が一方的に語りかける形で話が進んで、父親はすんなり死んでしまう。殺しにいく話よりはマシだけど、まぁ、和解なのかこれは?と思わなくも無いが、変化である事は確かだ。
四冊目が出るかは不明だが、希望のある最終章も含めて、Book 3は終わらせる為に作った本ではあると思うし、大筋においてはもう終わっていると思う。