2011-1Q84-2

1Q84 Book2 <7月-9月>も読み終わった。なかなか興味深い。

この作品の宗教団体にモデルがあることは自明であえて語る必要はない。「アフターダーク」から月日が経ち、あの経験がどういう風に昇華されたのかというのを、文中に探してみたのだが、今回、文学が宗教問題に対して何が出来るのか、というのを、ふかえりの物語を出版することにより、謎の存在に一矢報いるという形で、直接対決として書いちゃってるのは面白いと思う。実際は在りえないけど、ファンタジーならありだ。

個人的には、ファンタジー世界でのリトル・ピープルに一矢報いた件はそれとして、出版業・業界としては、その後あっさり団体の圧力に、「負ける」ところもそれなりにいいと思う。文学に力が宿り、ピカーッと光が放たれて世の中が良くなるような話は、フィクションであっても昨今そんなのはリアリティがなさ過ぎるし、面白くないだろう。

そういう意味で、宗教団体が今後崩壊しないのも既に決定事項といっていい。そういう話がやりたいなら、柳屋敷の婦人がリーダーになっている謎の組織と、宗教団体が各々の知略の限りを尽くして裏社会で戦う対決話になろうという展開だが、そういう組織の争いを村上春樹がやることはない。そういう芸風だから。従って、非常にパーソナルな形で物語は進行し、収束するはずだ。あえて言えば、ファンタジーな世界を利用したセカイ系的な展開ならあり得るかもしれない、と、ちょっと思ったんだけど、結論から言えば無かった。

セカイ系的な解決、リトル・ピープルの謎を解くことが、1Q84世界の理解と様々な解決に繋がり、解けたときに世界が平和になったり、もしくは崩壊したりするような展開は全く無く、リトル・ピープルみたいな世界観に根ざした謎は、「いつものように」謎のままだろう。これが解明されると思ってる読んでいる人には気の毒な作品になると思うが、魔法少女の世界でなぜ魔法が使えるのかに関してとやかく言わないのと同程度に、世界観に関する謎は謎のままなのが村上流で、名前が適当な名前であればあるほど(メタファーとしての力に近いという存在ということになるので)解明されないってのは、「羊男」の頃からの芸風なので、読みなれてる人はすぐ、こいつの正体は解明されないと判る(実際Book 3まででは解明されていない)。

話に関しては、この人の作品は枠組みに意味があるだけで、話の筋に特に意味があるとは思ってないんだが、あえて印象に残った場面を言えば、父親とのやり取りの描写は今までとは一味違う村上春樹が出ていると思う。何せ「海辺のカフカ」は父親を殺しに行く話しだったし、その頃と今で父性感が変わってることは、昔から読んでる人ならだれでも判るだろう。

今回は、父親との確執と離別から和解までが書かれていて、Book 3になると父は死んでしまうのだが、その一連の件は、今までの村上春樹とはかなり違う。あら、和解するんだ!ってのが正直な感想だ。ま、年を考えれば妥当なところでは在るし、年の割には和解の口上が偏屈なのがいかにも村上流だけど。

その他、主題と関係ないと思われる件に関しては結構露骨に省略が行われていて、読み手を主題に誘導させようとしていると思われる。主人公の不倫相手がいなくなった理由なんてのがそのひとつだ。別に知る理由は無いぐらいの勢いで話が終わっている。